今日は12月8日、ジョンの命日。亡くなってから33年にもなります。
その頃、私は30才前。米子Uという会社で働いていました。 彼が暗殺されたというニュースに触れたときにも、その事実に対してはバーチャルな印象しかありませんでした。 (だから今でも、ジョンは生きています。自分の中では) ジョンの命は絶たれたのかも知れない。でも「イマジン」という曲には、自分自身の想像力をめいっぱい注入して、 自分なりの「リアル」がありました。 当時の、ノイズがザーザーの深夜放送の真空管ラジオから聞こえてくる歌であっても、若者の想像力は そこにちゃんとリアルな世界や、込められたメッセージを間違いなく捉えていたと思うのです。 そこら辺の教師から教わることは微々たること、しかしジョンのこの歌が教えてくれることは 余白がいっぱいの、謎掛けがいっぱいの、故にコンテンツがいっぱいに詰め込まれたたいへんなものでした。 何年か前、歌詞を直訳するのではなく、自分なりに「イマジン」を和訳して録音したものが コレです。 ジョンの歌みならず、歌が教えてくれたことはたくさんあります。 そんな歌が自分にも創れたら・・・・・・。 この秋のイベントで、皆さんと歌いたいと思っていた歌がありました。 何か3番に違和感があります。実はこの部分、後で書き替えられたのだそうです。ポツダム宣言を受諾し、 終戦となった昭和20年、12月の24日、南の島からの引き揚げ兵を迎え、励ますための 日本放送協会のラジオ番組で初めて公開されたという歌。 作曲者の海沼はこの番組のための曲づくりを1週間前に依頼され、そこで一篇の詩『星月夜』に出会う。 その3番と4番は次のようなもの。 3番:きれいなきれいな椰子の島 しっかり護って下さいと ああ父さんのご武運を 今夜も一人で祈ります 4番:大きく大きくなったなら 兵隊さんだようれしいな ねえ母さんよ僕だって 必ずお国を護ります そこで海沼は急遽、作詞者の斎藤に電報を打って詩の変更を依頼する。 そうして書き直されたのが前述の詞。 戦前、小学校の教師をしていた斎藤の心中は、その時いかばかりであったでしょう。 <以下「二木紘三のうた物語」HPから引用> 戦争中、斎藤も、ほかのほとんどの教師と同じように、日本の軍国主義を素直に信じ、 生徒たちに神州不滅と教えていました。『星月夜』を書いたのも、太平洋戦争が始まろうとしていた 昭和16年(1941)のことでした。 しかし、その神州が敗れ去った以上、教師として大勢の子供たちに嘘をついてきたことになります。 斎藤が教師を辞したのは、そうした過去に耐え切れなくなったからでした。 歌に映される世相、人々の心・・・・・・。こころやさしき斎藤信夫があの歌に、当初戦意高揚の意を込めた そのキッカケとなったのも72年前の今日、12月8日。真珠湾攻撃。 ちょうど今、「NHKスペシャル」をやってます。 当時、英国首相であったチャーチルが、巧みな情報操作でこの戦争を仕掛けたものだと言っています。 その結果、強いられた犠牲とは??????????????? 情報化社会だと言われる現在に生きている私たち、そんな愚かなことが再び起るなんてこと、 そんなこと絶対ないはずさ、とあなどるなかれ。 さらに高度で巧みな情報操作がなされていることを、何重にも想定しておく必要があります。 お茶を濁すわけではありませんが、かつてこんな歌もつくりました。 一見おちゃらけですが、作っている本人はしごくマジメです。 お時間があればぜひ聞いてやってください。 きな臭い気分が漂い始めた、今日は2013年12月8日、 ジョンの命日、そして真珠湾攻撃開始となった日・・・。
by okimirahagisu
| 2013-12-08 21:56
| 大好き!みゅ〜じっく!
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