カテゴリ:大好き!みゅ〜じっく!( 7 )

リスペクトソング『天の蛍』

長らくのご無沙汰でした。
このところ何をやっていたかと言えば、相変わらず雑草との果てしなき戦い、
なのですが、本日のネタは「大好きミュージック!」ネタです。

先般発売された、江府町の「江尾十七夜」にまつわる小説『天の蛍』の
リスペクトソング&フォトムービーを作りました。



「江尾十七夜」は毎年8月17日に催されるお盆のお祭りで、その歴史は
四百数十年を数える伝統の行事です。役場からのオファーでこれをモチーフに、
米子を拠点に作家活動をしている松本薫さんが書き下ろされた小説が『天の蛍』。
ほとんど史料のない中で、「どんなお話しにするの?」なんてことを、
昨年の1月、一緒に講演のために鳥取県東部の若桜町へいく車中で松本さんと論じあって、
構想の外郭が出来あがり、とってもおもしろい時代小説となりました。

今回作った楽曲は、その中に出てくる主人公、あの世とこの世をつなぐ踊り子、
波留(はる)の謡の文句が元になっていて、初稿を読ませてもらっていた段階から
ぜひ歌にしたいと思っていたものです。

作詞は松本さん本人によるもの、歌はかつて「大山賛歌〜わがこころの山〜」を
歌ってもらい、いま縁あってこの小説の舞台に住まいしているKAYOKOさん。



フォトムービーのために写真提供してくれたのが、今をときめく写真家K氏と、
地元のデザイナーA氏。

この写真は楽曲の一番最後、四百数十年前と現代を結ぶシーンに使わせて
もらったK氏のもの。
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山陰の片田舎を舞台にして、「地方創生のために」と書かれたお話ではありますが、
その内容、クオリティは片田舎に押しやっておくような代物ではありません。

わずか数百年前には我が国も、いまのアフガンのような、殺戮が日常的に
繰り返される、そんな戦国の世の中でした。しかしどんな時代、どんな国、どんな民族にあっても
意味もない争いに愛する人、我が子を失う悲しさや辛さはまったく同じでしょう。

この小説『天の蛍』は、きな臭い今日の世相の中で、平和への希求、反戦への
メッセージを発していて、それが「一地域」を突き抜けるポイントだと思います。

ぜひ日本全国、世界中の人たち、特にお母さんたちに読んで頂きたい作品です。
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by okimirahagisu | 2015-07-13 01:35 | 大好き!みゅ〜じっく! | Comments(2)

『きみと歩む道』リリースしました。

3月になりました。すでに2015年の6分の1が経過してしまって・・・「汗」です。
氷雨の一日、野外活動は出来なくて、今日は事業の報告書づくり&ささやかなお楽しみ。

昨年の夏、MOTIFを使って初めて作った山陰柴犬のイメージソング『きみと歩む道』を
やっとリリースしました。
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ヒマを見てミキシングの手直しを重ね、先日何とかフィックスし、
この度やっとフォトムービーに仕立て、YouTubeにアップ。
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長いですが、爽やか系のこの曲、ぜひ聴いてみてください。



これがミキシングの手直しの痕跡。あちこちに外科手術の跡が見て取れます(笑)
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こうやって視覚的にアレンジができ、また余計な小細工ができすぎるのも良し悪し。
むかしは4トラカセットレコーダーで、一発勝負で作っていたのに、
いまは次から次、欲が出てきてしまいます。

あれっ!?後方に御法度破りのねねさんの影も・・・(笑)
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ところで3月4日は、「さんしば」すなわち、山陰柴犬の日なんだとか。
今月末からは山陰柴犬のイベントも計画中。
26年度事業の仕上げと片づけ、そして春に向かって何かと慌ただしいことですが
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ねねさんとともに、少しはのんびりできた冷たい雨の今日一日。

♪きみと歩む道 雨降りの日も こころ晴れるよ 夏空のように〜〜〜

この歌、山柴ファンならずとも、これから広く口ずさんでいただけたら嬉しいです。
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by okimirahagisu | 2015-03-02 04:40 | 大好き!みゅ〜じっく! | Comments(2)

ひさびさの曲づくり!

台風11号の直撃が心配された山陰地方でしたが、コースが少し東にそれて
今のところ大過なく済みそうです。三重県など大きな災害となった地方の皆さんには
お見舞い申し上げます。
さてブログ更新がおろそかになっていますが、何せやることが多くて・・・、と言い訳(笑)
そのひとつが、昨年あらたに購入した楽器「MOTIF-XF」の取り扱い練習を兼ねた曲づくり。
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ねねさんつながりの「山陰柴犬の会」などなどでご一緒させていただいている
詩人のNさんが書いてくださった詩をもとに、今作っているのが
山陰柴犬のテーマソング『キミと歩く道』。
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1990年頃に購入し、ずっと使い慣れてきた「YAMAHA SY-77」でしたが
長年の酷使でRUN(スタート)ボタンの接触不良や、データを収納するフロッピーの
ディスクドライブが機能しなくなるし・・・(↓当時は、これでも最新機器!・・・笑)
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それでもよく働いてくれました。ちゃんと元を取ってくれました。
(しかしまだまだ、シンセとしては十分に使用可能)
それに替わって使わせてもらうことにしたこの「MOTIF」。基本機能は同じだと思うのに
さっぱり使い方が解らない!!!周辺に散らかったこの「取説」の山!!!
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しかしまあ、「習うより慣れろ!」というこで、秘められたナゾをひとつひとつ
解き明かしながら、だいぶ使えるようになりました。少し慣れてくると
「コレは行けるかも?」と思うことができるようになったものの、反面
「ひょっとしたらコレ、使い手の能力を試してるんじゃ〜?」とも感じたり・・・。
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お盆に帰ってくる予定の姪っ子に、歌入れだけはしてもらえるように、
これからNさんに、歌詞を仕上げてもらうようにお願いしました。
さあ、どんな曲になるでしょう?

ちなみに、1990年代中頃に、SY-77を駆使して作った曲。
「だら漬」という漬物のイメージソングとして2曲作ったうちの、こちらはボツ曲。



昨今のちょっときな臭い世相に対するメッセージになればと、
1ヶ月ほど前にYouTubeにアップしました。
お時間があれば聴いてやってください!!!



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by okimirahagisu | 2014-08-10 14:55 | 大好き!みゅ〜じっく! | Comments(0)

「私の音楽人生」第1巻、ナンチャッテ・・・

Facebookを始めてから、後追いになってしまっているブログ。でも、
どちらかと言えば「喰いもんネタ」などの軽いノリで「いいね!(=ウケ)」ねらい、
断片的な情報が、水のようにザルからザーザー流れてしまうようなFBに対して、
その時々がある程度まとまったカタチで後々、記録としても残されていくブログを、
それはそれで今後も大事にしていこうと思います。

ということで、本日は「後追い」のネタで、しかもちょと長いです。
FBを始めて良かったのは、昔いっしょにやっていたバンドのメンバーとのチャンネルを
得ることが出来たこと。そのバンドの名は「Do Bimbo(どびんぼ)」。
1980年代の初め、R&Bやレゲエを主に演奏し、米子周辺ではかなり名の知れたバンドでした。
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「Do Bimbo(どびんぼ)」はその名の通り、「貧乏」であることを自嘲し、
あるいは反対に、それをむしろ誇示するかのように付けられた名前で、
各々仕事はしていたと思いますが実際、日々「音楽漬け」の毎日で、
練習の後はメンバーがやっていたお店「パラダイスランチ」あたりに集って、
夜な夜な、時には朝が来るまで音楽談義に花を咲かせたものです。

Do Bimboに加わる前には、オリジナル曲を主に、Eaglesなどウエストコーストの
曲のコピーを「Barefoot Jump」というバンドで演っていて、多分
転機を迎えつつあったDo Bimboに何かが必要とされて、誘われたのでしょう。

自分がDo Bimboに在籍したのは1年かそこらですが、その間に
採り上げてもらったオリジナル曲が、確かふたつありました。
1曲は、バンドのコーラス練習用にと、ちょっと難儀なコード進行で作ったアカペラ曲、
もう1曲がこの『Midnight Train』でした。

サウンドは当時の練習場で8トラのオープンリールで一発録りし、多分、今は亡き、
ナカヤマあたりの手によるミックスではないかと思われる音源で、さらに
カセットにダビングされたものがソースとなっています。
映像は先日、夜中にちゃちゃっと細工をして作ったオソマツなもの。



30数年たって、改めて歌を聴いてみると、なにかとてももどかしい(笑)。
おっさんになった自分が、若かりし自分に、「言いたいことがあるんなら、
もっとハッキリ言えよ〜!!」と思わず言いたくなるほど。

しかしまあ、30歳頃の自分の気持ちは何とな〜く、解ります(笑)
このところとても強く思ってることのヒントが、何となく見える気もします。

「♪ 囚われの 俺のこころが 泣きながら 泣きながら 追いかける・・・」

それは自分の中にある「土着性」とでも言うべきもの。
ああ、自分は多分若いときから今まで、「奥日野の土着民」としての人生を
送って来たんだな・・・と言った、そんな感じ。
土着性の希薄な人たちは、稼ぎやすい場所、心地よい場所に好き勝手に移動できる。
だから田舎から出て行く人もいれば、昨今のように田舎に移り住んでくる若い人たちもいる。
でも自分は、決して有利とは言えないこの土地の上で生きなければならない・・・。

昔は庄屋だったとは言うものの、水飲み百姓の長男として生を受け、
家督を継ぐことを幼少の頃から当然のこととして言われ、大学卒業時、
米子を仕事場にしようと心に決め、確か『Yonago de!』という曲も作ったような・・・。
そうして今も米子に事務所を構え、毎朝夕、日野から片道35kmを通勤し、
週末は地元のこと、家のことに汗を流す、かっこよく言えば「デュアルライフ」の日々(笑)。
注※一部の皆さんには、当方が現在、山の中で隠遁生活をしているように思われている向きも
  あるようですが、決してそうではありませんので、念のため(笑)

歌づくりの始まりは中学2年生の時、その後、高校〜大学でもいっぱい作って、
就職して、結婚して、子供も生まれ、いい年になってもまだ楽器から離れられない・・・。
親の手前もある中、田舎で後ろ指を指されずに、それでも大好きな音楽を続けるためには
ちゃんとした理由=言い訳が必要でした。それは「仕事としてやっている」と言うこと。

Do Bimboを離れた後、よいご縁に恵まれて、ハウスエージェント「Oデザイン室」に
身を寄せることになり、またクライアントさんにも恵まれて、そこでたくさんの
CMソングやイメージソングを作らせてもらいました。
(Don Hidecho殿、その節はたいへんお世話になりました!!)



それ以降、今まで(語れば長いので、またの機会に)、実にいろいろな形で音楽を作らせていただき、
これからもいっぱい作りたいな〜、と思うのですが、如何せん、長年の習慣からか、
「仕事」と名が付き、予算と納期に縛られないと動き出せないと言う悪弊が身に染み付いてしまい、
自分のモチベーションを高めるために、さあどうしたものか???
と、四苦八苦してしまう昨今なのです(笑)困ったもんですが、まあ焦らず、
気が向いたら楽器に向い、終生、音楽に親しんでいこうと思っている次第。

ってなことで以上、オソマツな「私の音楽人生」第1巻でありました。
最後までお付き合いいただき、こころから感謝です〜!!チャンチャン。。。




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by okimirahagisu | 2014-07-15 19:09 | 大好き!みゅ〜じっく! | Comments(0)

大滝さん、ありがとう!

昨年暮れに亡くなった大滝さんのお別れ会が、昨日執り行われたとのこと。
若い頃にたいへん感化され、自分がCMソングの制作に手を染めることになったのは、ひとつには
大滝さんの影響があったからかも知れません。
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学生だった頃から「はっぴいえんど」のレコードは、それこそすり切れるほど聴きましたが、
どこかエラそ〜なメッセージを携えたフォークソングとかより、いわゆるPOPの世界に身を置き、
フランクなスタンスで音楽をやっている「はっぴいえんど」はとても好きでした。

都市的でクールな細野さんに対して、ホットで土着的?な感性を表している大滝さん。
そのふたりの音楽性があって初めて「はっぴいえんど」が成立していたのだと思います。
細野さんはどちらかというとフォークロアをベースにした洗練さ、
大滝さんはブルースから民謡や演歌までも取り込んでしまうPOPで幅広い音楽性が売り。
中でも大滝さんがCMソングを作ってヒットさせていることは、
まるで自分のことのように爽快でした。





「はっぴいえんど」が解散して、ティンパンアレイとナイヤガラというふたつの流れになってからも、
ずっと聴き続け、今でも好きな歌がいっぱいあります。

中学生の時、初めて作曲なることに手を染め、高校〜大学とヤクザな世界に身を置いてきました(笑)
20代の初めに、米子市内の貴金属店のCMソングを1本作りましたが、それが仕事になるわけではなく
その後は実際20代の後半までバンド活動に入れ込んで、ライブやコンサートをやったり、
仲間と共に某ヤ●ハのオーディションイベントに出場したり・・・・・・。

ところが運良く30才の前後、広告のAJTで仕事をさせてもらうことになり、
その頃、CMソングをいっぱい作らせてもらいました。
作らせてもらった・・・というより、勝手に作ってクライアントさんのところに持ち込んで、
それを使ってラジオ広告に出稿してもらうといった、今思えばかなりチカラワザの
仕事をしていたのかも知れませんが・・・。

その頃つくったCMソングメドレー(ほんの一部)です。



大学を卒業して田舎に帰ってきて、楽器に触り続けること、音楽を続けることは
世間体を気にする親の気持ちを考えると、けっこう至難の技です。(昔のことですから特に・・・)
音楽をやり続けるためには「これは仕事だから」という「強力な言い訳」が必要だったのです。

いま、優先してやるべき仕事を抱えているときには、まったく楽器に向かう気になれません。
つまり、「これは仕事だから」という言い訳がないと音楽できないという体質が
嫌と言うほど身についてしまったと言うことだろうと思います(笑)
あるいは長年の悪しき習慣で、締め切り日が設けられないと、何も出来ないという
悲しい性に染まってしまったからでしょうか?

しかしそれでも曲がりなりに(休み休みですが・・・)、今でもちょっと時間があれば楽器に向かうことができ、
いざお仕事!!となれば、それでも没頭して音づくりに取り組むことができる・・・、
これは若い頃、大滝さんの音楽や、音楽に向かう生き方に触れることができたからだと思っています。
そういった意味で、大滝さんとの出会いにはとても感謝しており、まだ若くして亡くなったことを
とても残念に思いつつも、心から哀悼の意を表したいと思います。


師匠 大瀧詠一さん
たくさんのステキな曲を聴かせて頂きありがとうございました。
天国でもいっぱいいい歌を作ってください!!!!!
こころからご冥福をお祈り致します。           合掌
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by okimirahagisu | 2014-03-22 17:52 | 大好き!みゅ〜じっく! | Comments(0)

12月8日、この日思い出す歌

今日は12月8日、ジョンの命日。亡くなってから33年にもなります。
その頃、私は30才前。米子Uという会社で働いていました。
彼が暗殺されたというニュースに触れたときにも、その事実に対してはバーチャルな印象しかありませんでした。
(だから今でも、ジョンは生きています。自分の中では)
ジョンの命は絶たれたのかも知れない。でも「イマジン」という曲には、自分自身の想像力をめいっぱい注入して、
自分なりの「リアル」がありました。



当時の、ノイズがザーザーの深夜放送の真空管ラジオから聞こえてくる歌であっても、若者の想像力は
そこにちゃんとリアルな世界や、込められたメッセージを間違いなく捉えていたと思うのです。

そこら辺の教師から教わることは微々たること、しかしジョンのこの歌が教えてくれることは
余白がいっぱいの、謎掛けがいっぱいの、故にコンテンツがいっぱいに詰め込まれたたいへんなものでした。
何年か前、歌詞を直訳するのではなく、自分なりに「イマジン」を和訳して録音したものが
コレです。


ジョンの歌みならず、歌が教えてくれたことはたくさんあります。
そんな歌が自分にも創れたら・・・・・・。


この秋のイベントで、皆さんと歌いたいと思っていた歌がありました。

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何か3番に違和感があります。実はこの部分、後で書き替えられたのだそうです。ポツダム宣言を受諾し、
終戦となった昭和20年、12月の24日、南の島からの引き揚げ兵を迎え、励ますための
日本放送協会のラジオ番組で初めて公開されたという歌。

作曲者の海沼はこの番組のための曲づくりを1週間前に依頼され、そこで一篇の詩『星月夜』に出会う。
その3番と4番は次のようなもの。

    3番:きれいなきれいな椰子の島
        しっかり護って下さいと
       ああ父さんのご武運を
         今夜も一人で祈ります
    4番:大きく大きくなったなら
        兵隊さんだようれしいな
       ねえ母さんよ僕だって
         必ずお国を護ります

そこで海沼は急遽、作詞者の斎藤に電報を打って詩の変更を依頼する。
そうして書き直されたのが前述の詞。
戦前、小学校の教師をしていた斎藤の心中は、その時いかばかりであったでしょう。

<以下「二木紘三のうた物語」HPから引用>
戦争中、斎藤も、ほかのほとんどの教師と同じように、日本の軍国主義を素直に信じ、
生徒たちに神州不滅と教えていました。『星月夜』を書いたのも、太平洋戦争が始まろうとしていた
昭和16年(1941)のことでした。
しかし、その神州が敗れ去った以上、教師として大勢の子供たちに嘘をついてきたことになります。
斎藤が教師を辞したのは、そうした過去に耐え切れなくなったからでした。


歌に映される世相、人々の心・・・・・・。こころやさしき斎藤信夫があの歌に、当初戦意高揚の意を込めた
そのキッカケとなったのも72年前の今日、12月8日。真珠湾攻撃。



ちょうど今、「NHKスペシャル」をやってます。
当時、英国首相であったチャーチルが、巧みな情報操作でこの戦争を仕掛けたものだと言っています。
その結果、強いられた犠牲とは???????????????

情報化社会だと言われる現在に生きている私たち、そんな愚かなことが再び起るなんてこと、
そんなこと絶対ないはずさ、とあなどるなかれ。
さらに高度で巧みな情報操作がなされていることを、何重にも想定しておく必要があります。

お茶を濁すわけではありませんが、かつてこんな歌もつくりました。
一見おちゃらけですが、作っている本人はしごくマジメです。
お時間があればぜひ聞いてやってください。

きな臭い気分が漂い始めた、今日は2013年12月8日、
ジョンの命日、そして真珠湾攻撃開始となった日・・・。
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by okimirahagisu | 2013-12-08 21:56 | 大好き!みゅ〜じっく! | Comments(0)

根雨の町に長持唄が聞こえて・・・

根雨の町、祇園さん(神社)の参道に鈴なりの人・人・人・・・・
今日はいったい何事でしょう!?
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  ♪ハア〜今日はナ〜ヨ〜〜〜 日も佳し ハア〜天気もよいし〜

聞こえてきたのはあの懐かしい長持唄。祇園橋の上を花嫁行列が厳かに進みます。
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  ♪結びナ〜合わせてヨ〜 ハア〜 縁となるがエ〜〜〜

今ではめったに聞くこともなくなった日本の民謡。
でもよ〜く聞いてみるととても味があるのです。いわば幾何学的に構成されている
西洋音楽とちがって、なんとも言えない歌い回しの中に・・・、
つまり行間というか余白というか、その中から浸みだしてくる情感があって、

生まれてこの方西洋音楽にかぶれてきた私たちの世代が、この日本のフォークソングを
キチンと後世に伝える努力をしないと、本当に廃れてしまう!と、最近、強い危機感を持っていて、
じつはヒソカに練習もしてはいるのですが、「長持唄」超ムズカシイ!
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  ♪蝶よ花よと育てた娘 今日は晴れてのお嫁入りだよ
   ♪さあさナ〜お立ちだよ お名残おしや 今度来るときは孫連れてな〜

可愛がって大切に大切に育てた娘を、嫁にやる親の心情、交通の便も悪かったむかしは
今ほどカンタンに、お里帰りもできなかったでしょう。それだけにつらい別れ。
むかしの女性たちが嫁ぐときの、覚悟のほども察せられます。
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町の商工会の若い人たちが中心となって企画した、二人の「祝言」。
農業をやるためにこの町にIターンしたH君と地元のお嬢さんを、町の人たちみんなが祝福します。
なかなか粋です!ステキです!!!マスコミ各社、カメラマンもいっぱい!!!
いつもは閑散としている根雨の町が、今日は歓びにあふれています。
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願わくばこの祝言がきっかけとなって、商工会青年部の独身男性たちも次々と
いいお嫁さんを迎えて欲しいものです。
ちなみに我が家にも約2名、該当者がいます。なにとぞ良いご縁を!4472!
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by okimirahagisu | 2013-11-17 04:10 | 大好き!みゅ〜じっく! | Comments(0)